1月19日:食べて眠ってまた食べる

たまになにもかもどうでもよくなる日があって、仕事なんてしたくなくて、だけど遊ぶのも面倒で、もうな~んでもいいか! 捨てちゃえば! の気持ちになる。きっとわたしだけではない、このなんとも言えないモヤモヤダラダラズルズルした気持ちになるのは。

生きるのも死ぬのも体力がいるし、気力もいるし、痛いのも苦しいのもいやだから、ふと(このまま地面にずるんと引きずり込まれて、そこがホカホカあたたかくて、眠れるほど気持ちよくて、そのまま意識を手放したらわたしの存在ごとなにもなかったことになればいいな)と思う。それは悲観的な気持ちとはまた違って、ポジティブな無で、だれも悲しまずだれも泣かないのであれば、そんなに愉快な無はないなと思う。

けれどそんな魔法は使えないから、どうせ生きるなら楽しくしようと、できるだけの娯楽をかき集めて日々を豊かにしようとしている。生きがいややりがいなんてどうでもいいから、ただおいしいご飯があって、すきな人たちがいて、健康で、安心して眠れる家があればいい。だけどきっと、それらをすべて手に入れるのはとてもハードルが高いんだろうな。とくに健康は。

「気を抜いたら置いて行かれる」「精一杯やらないと成功できない」「勝ち取りたいなら走り続けろ」のような、圧のある言葉が苦手だ。きらいと言ってもいい。どうぞ置いて行ってくれ、かまわないから。自由に追い抜いていいから、やけどしそうな熱をこちらに向けないでくれ。自分の身を焦がしてがむしゃらに進むのはどうぞご自由にだけれど、その炎でわたしまで焼かないで。

今日は夜にお鍋を作る。ニンニクをごろりとかたまりのまま入れて、トロトロに煮込まれたそれを、豚肉でくるんと巻いて食べるととってもおいしい。暖房をつけて、それでも足元は寒いからブランケットをかけて、ゆっくり食べよう。お腹がいっぱいになったらデザートにみかんを食べて、あたたかい紅茶も飲んで、漫画を読んで、眠くなったら寝よう。

わたしの人生、あと何年あるかわからない。痛いのも苦しいのも悲しいのもいやだから、まだ生き続けていたい。だから自分の存在をごはんや睡眠や娯楽で確かめて、泣きたくなったら泣いて、怒りたくなったら怒って、それ以上にできればたくさん笑って、まだここに存在していたい。はやく夜にならないかな。だんだんお腹が空いてきたから。