5月27日:夫とふたりで過ごす生活の終わり

妊娠10か月。早いものでとうとう臨月に入り、出産まで残りわずかとなりました。わたしは計画無痛分娩の予定なので、いまはこまめに健診に行き、体の状態を見ながら出産日を決める段階。まだかな、そろそろかなと、常にソワソワしています。

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臨月に入ってからの、ある夜。(臨月に入ったなぁ、本当にあと少しで出産なんだなぁ)と布団の中で思った瞬間に、さまざまなことが頭の中に浮かんできました。

出産や子育ての不安はもちろん、しっかりお金を稼いでいけるかなとか、家の修繕費も貯めておかなきゃとか、反抗期がきたらどう対応すればいいかなとか、そういえば老後の貯蓄も必要だとか。

そしてふと、自覚しました。あぁ、夫とふたりだけで過ごす生活は、ここでひとまず終わりなんだなぁと。

そう思ったらなんだかとても寂しくて、悲しくて、横ですやすやと眠る夫の顔をまじまじ見ながら、あぁ好きだなぁ、寂しいなぁと何度も思いました。

もう少しふたりの生活でもよかった? と聞かれると、それは、いいえそんなことはないよの答えになります。「この人との子どもがほしい」と思ったタイミングで、奇跡的に授かれたお腹の中の命に対しては、どうかどうか無事に産まれてきますようにの強い願いがある。

ただ、夫との生活が本当に楽しくて、しあわせで、それがあと少しでなくなるのだと思うと、いままでの夫とのありとあらゆる思い出がぶわりと大量に浮かんできて、とてもとても懐かしく、心が少し切なくなるのです。

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まだわたしが一人暮らしをしていたころ。

交際がスタートしたばかりの時期は、実はあなたに対して「好き好き!」というわけではなく、ただ一緒にいて居心地がいい相手という感じでした。

あなたは毎週土曜日に、電車で1時間ほどかけて、わたしの家に来てくれました。そのままわたしの家に泊まり、次の日に解散するのがいつも通りの過ごし方になりましたね。

わたしたちは小学校の同級生。小学生のときからやさしいあなたでしたが、再会後も変わらずやさしく、この人はどうしたら怒るんだろう? と不思議に思ったこともありました(いまでもたまに思います)。

夏は冷しゃぶ、冬はお鍋をふたりで一緒に作って食べたこと。わたしの母の病気が悪化したとき、まだ交際して日が浅いのに話を親身に聞いてくれたこと。約束の時間よりずいぶん遅れてわたしの家にやってきて、わたしが「親しき仲にも礼儀ありでしょう」と怒ったとき、本当に焦りながら何度も謝ってくれたこと。道を歩いているときに、寝違えた首の痛みに耐えられずにわたしが「痛いよう」と泣いたときに、道の端っこにわたしを誘導しながら「痛いねぇ、いやだねぇ」と慰めてくれたこと。

一緒に過ごす時間が長くなるほどに、あなたのことがどんどん好きになっていきました。

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結婚を前提とした同棲のスタート。わたしはそれぞれの親に挨拶をしてからの同棲がよかったので、それに同意してくれてよかった。「同棲してみて、1年後に『この人と結婚したい』と思えなければスッパリ別れよう」とストレートにわたしが伝えたときも、怒らず茶化さず誤魔化さず、しっかり対応してくれてありがとう。

内装のかわいらしさに心を掴まれて、「ここがいいなぁ!」と予算より高めの1LDKにわたしが決めてしまいそうだったとき。「おしゃれだね、でももう少し探してみるよ」とわたしの気持ちを受け止めたうえで、キッチンがとてもキュートな予算内のマンションを見つけてきてくれたこと。とてもとても感謝しています。間仕切りを使えば1LDKにも2DKにもなるその部屋は、わたしたちの生活にとてもよく馴染みました。

家具をふたりで選んでいると思いきや、実はわたしの「これがかわいい」をいつも優先してくれたこと。家事をしっかり分担して、共同生活をサポートしてくれたこと。ふたりで入るには少し窮屈なバスタブに、足を曲げてぎゅうぎゅうになりながら一緒に入ったこと。

コロナ禍でリモートワークになったとき、ふたりで起きて、ふたりで朝食をとり、一緒に仕事をスタートして。夕方ごろに自動販売機に飲み物を買いに行き、近くの公園で飲んだこと。あの生活は、いまでも(もう一度したいなぁ)と思うほどに楽しい時間でした。

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その後、わたしたちは1年後に結婚しました。子どもについての会話も増えましたね。「いまのマンションだと狭いねぇ」「お互いの仕事はどうする?」「保育園は?」「育休は?」。わたしの疑問をすべて聞いてくれたこと、あなたの意見を聞けたこと。話し合いができるあなたで本当によかったと、なにかの壁やトラブルに直面するたびに思います。

家を探して、引っ越して。相変わらず「これがかわいいと思うの」と自分好みの家具やインテリアを提案するわたしに、「かわいいね」「おしゃれだね」とほとんどOKしてくれてありがとう。あまりにも値段が高いものは、「ちょっと考えよう」とわたしをクールダウンさせつつ、似たテイストのものをしっかり探してくれました。

子どものことで、喧嘩もしました。泣いたこともあったし、あなたを責めたこともありました。けれどあなたに責められた記憶は、わたしの中にないのです。それこそ小学生のころから、あなたに一方的に責められたことはただの一度もない。

いつもわたしの意見を聞いてから、ゆっくりと考えて、言葉を選んで、自分の意見を伝えてくれてありがとう。ときにはメモを使って、お互いの感情を整理したりもしましたね。言葉のぶつけ合いではなく、声を荒げない話し合いができるあなたが、やっぱりとてもとても好きだなぁと思います。

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もう少しで子どもが産まれます。つわりで吐いているわたしの背中を、夜中でも起きてやさしくさすってくれてありがとう。掃除も洗濯も料理もすべてひとりで担当して、つわりで苦しむわたしを休ませてくれてありがとう。

「サイダーしか飲めない」と言うわたしのために、たくさんサイダーを買ってきてくれたのに、「もうサイダーの口じゃなくなった。次の口は……ポカリ!」と伝えたとき。怒らず、呆れず、冷蔵庫にたっぷり残ったサイダーを「甘いなぁ〜」と言いながらも自ら飲んでくれてうれしかった。

お腹が大きくなってきたとき、わたしが「エスカレーターで転がり落ちるといやだから、わたしを先にのせて、あなたは下でわたしを守って」と伝えてから、その言葉をしっかり守っていることも知っています。「道を歩いているときは手をつないで、わたしが転んだときに助けてね」と伝えたときの、「ハイ!」の真剣な表情は少しおもしろかった。

その後、うっかりわたしより少し先を歩いてしまったとき。「真横にいないで、いざというときにわたしを守れるの?」と、わたしからバトル漫画に出てくるみたいなセリフをぶつけられましたね。そのときの少々落ち込んだ「ハイ」も、いまでも覚えています。

出産が怖くて夜中に泣いたとき、「どうしたどうした」とすぐに起きて話を聞いてくれてありがとう。臨月が近くなり腰がとうとう悲鳴をあげてからは、ほぼ毎日マッサージをしてくれていますね。自分も仕事で疲れているのに、わたしを気遣ってくれて本当にありがとう。わたしの料理を「おいしい」と言いながら食べてくれて、いつもとてもうれしいです。何度も繰り返したふたりだけの食卓を、これからも忘れたくないなぁ。

出産後も、どうかどうか、ふたりで協力しながら生活を続けていけたらいいなと願っています。

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出産後、「夫に対して怒りしか感じなくなった」という意見をSNSで見ました。「どれだけ夫が育児に参加していても、それまで夫にどれだけの愛情を感じていようと、パッタリと夫への気持ちが消えてしまう人もいる」という意見も見ました。夫含めて、自分以外の人間に不満を持ちやすくなる時期を、どうやらSNS界隈ではガルガル期と呼んでいるようです。

ガルガル期、わたしもくるでしょうか。くるかもしれません。「やさしい」と感じていた夫の長所を、「頼りない」と短所に感じてしまうかも。「おだやか」が「情けない」に、「慎重」が「行動が遅い」に、「こちらの意見を聞いてくれる」が「自分の意見がない」に変換されてしまうかも。

それはとても悲しいなぁと、時間や気持ちにまだ余裕があるいまのわたしは思えるけれど。産後のボロボロの体や、慢性的な睡眠不足、変えたくなくても変わっていく生活のストレスにより、夫を敵認定する可能性もゼロではないでしょう。もしかしたら本当に、夫が育児にまったく参加してくれず、正当な怒りをパワーにガルガルと夫に噛みつくかもしれません(比喩ではなく本当に歯でガブリと)。

これからの生活がどうなるかは、まだ誰にもわからない。けれど、いまのわたしが、いまの夫に対して愛情を感じていることは、どこかに残しておきたいと思いました。夫のことが本当に好きで、付き合い始めたときよりも、いまのほうがずっとずっと夫を大切に思っていること。仕事から帰ってくるたびうれしくて、仕事に行くときはいつも少しだけ寂しくなること。ここに残しておきます。

出産後しばらくして、夫への愚痴をここにつらつらと書き殴るかもしれません。夫への好きも嫌いもなくなって、ただただ子どもの成長日記になるかもしれません。そもそも文章を書く余裕などなく、Twitterに「夫ムリ」「子育てしんどい」と吐き出し続けるかもしれません。

未来は誰にもわからないので、まずは、母子ともに無事に出産を終えられることを願いつつ。産後の自分の心の変化を楽しみに、ソワソワしながら、出産日を待つとします。