11月8日:縦になると気持ち悪い

妊娠3か月になった。つわりが5週くらいから始まっていつも船の上にいるみたい。

妊娠・出産の大変さはぼんやり知っていたけど、やっぱり自分が経験していないとわからないことはたくさんあるなぁと思った。妊娠初期のつわりがこんなに気持ち悪いとは考えたことがなかったし、炭酸やマックのポテトが本当においしく感じることも知らなかった。あくまでわたしの場合です。

妊娠についていろいろ調べるうちに「妊娠報告のマナー」「報告時期の常識」みたいな記事が出てきて、それどこの常識? 誰が決めたの? と少しイライラした。いつどこで報告するもしないも個人の自由でいいのにね。

わたしの場合はまだ心拍確認もできていないときにすでにつわりが始まってしまって、無理してなにかあったらいやだな、と思ったので、そのとき進んでいるお仕事関係の方には早めに報告した。妊娠したよ! の報告というより、妊娠してつわりも出てるから無理できないんだ! ごめんね! でも妊娠中も出産後もお仕事は続けたいからこれからもよろしくね! みたいなニュアンスで伝えた。バリバリできないならここまでの縁ですね、みたいになったらショック〜と思ったけど、もしそう言われたらそれはわたしにとって関わらないほうがいい相手だからそれはそれでいいか〜と無事に気持ちが着地した。

つわりいやだな。元気でいたいな。この前「つわりで常に船酔いみたいな状態ってことは、三半規管が鍛えられてもう船に乗っても全然酔わなくなるってこと? 船乗りじゃん!」と夫に言ってみたけど「つわりは三半規管を鍛えてるわけじゃないから、船酔いするかどうかは変わらないんじゃない?」と返されておん......そうなんだ......となった。わたしがピンとくることはだいたい外れてる。

せめてつわりが起きることでのメリットがあればいいのにな。つわりが出ている日は女性ホルモンもめちゃくちゃ出て肌がツルツルになって髪もサラサラになってつわりを和らげる香りが耳の裏が出る、とか。つわりが出ている間だけめちゃくちゃ足が速くなってまるで風のように走れる、走っている間だけはつわりが出ない......とか。そしたらわたし忍者のように忍びながら町を走り抜けて楽しむのに。

今のところつわり中の楽しみは塩気のあるポテト。あと炭酸。王道の梅干しは王道なだけあってとてもおいしく感じる。あとは寝ること。寝ている間はわたしは気持ち悪くないから。

縦になると気持ち悪いので、今はベッドに横になりながらスマホでこれをポチポチと書いている。仕事ができるほど頭がハッキリしていない、外に出かけられるほど元気でもないときにブログを書くのはとってもいいな。気が紛れる。定期的に書きたい。

8月22日:夏の休日の過ごし方

日曜日の昼下がり、もうこのあとはなにもしなくていい、お腹がすいたらご飯を食べて眠るだけ......の状態で、リビングで夫と過ごす時間がすきだ。

テレビはつけない。ワイヤレススピーカーからはオルゴールのキラキラした音色が流れて、部屋をまったりした空気に変えていく。

外は真夏の暑さだけれど、部屋は冷房のおかげで過ごしやすい。みーんみん、と窓の外から聞こえてくる蝉の音がどこかぼんやりしていて、外の世界と切り離されている気分になる。

わたしたちの部屋だけが宇宙に浮いている。

窓を開けたら、きっと現実がゴボゴボと流れ込んでくるんだろう。だからすべての窓をピッシリと閉めて、オルゴールの音だけを部屋にあふれさせる。

安全な部屋。ささくれてポロポロと剥けてしまいそうな心がやわらかくほぐれて、馴染んで、まぁるくまぁるく戻っていく。

三人がけのソファでは夫がごろんと寝転がり、いつのまにかスヤスヤと夢の中。バナナの形のクッションを両手に抱いて眠る姿は子どものよう。

わたしはその姿をたまにチラリと、たまにまじまじと眺めながら、あたたかい紅茶をこくり、こくりと少しずつ体に流し込んでいく。お腹の下のほうがじんわりと熱を持ち、やがてスーッともとの温度に戻る。その変化がおもしろい。

今日はもう、お腹がすくのを待つだけ。お腹がすいたらご飯を食べて、あとは眠くなるのを待つ。眠くなったら、眠るだけ。

焦ることなく、慌てることなく、なにもないこの時間をただ過ごす。それだけでじゃうぶん。

6月21日:久しぶりにバスに乗った話

普段は主に徒歩、たまに電車、さらにたまに車を移動手段として使っているわたしは、「バス」というものにとんと慣れていない。

バス。タクシーよりは多い、都心の電車よりはずっと少ない数の乗客をお腹の中にしまい込み、ガタゴトと走るそれ。線路に従い走る電車と違い、無数に伸びる道路を自由に走っているようなそれ。けれど走るルートは決まっているので、やっぱり自由ではないそれ。それはバス。

今日は電車では行きにくい、徒歩ではちょっぴり遠い場所に行かなければいけなかったので、ものすごく久しぶりにバスに乗った。「さぁ、バスに乗るぞ」と思って初めて見えてくる停留所。意外と街のあちらこちらにあって、意識しなければわからないものは世の中にごまんとあるのだなと改めて知る。

電車であれば乗り換えアプリですいっと発車時刻を調べるけれど、バスだとなぜか停留所に書かれた時間を確認してしまう。乗り換えアプリにバスの時刻も書いてあるのに、なぜか。そこに書いてある時刻が、唯一正しいもののように思える。

平日、土曜、祝日。曜日ごとにわかれている時刻表。今日は月曜日の、今は15時。ふたつが合わさるところをついつい、と指でなぞりながら探す。発車時刻は、15:16。いまは15:04。あぁ、14:57に行っちゃったのかぁ。仕方ない、座って待とう。

曜日と時刻が頭の中でぐるぐるまわり、やがてポンと目の前に飛び出てきた「15:16」だけを大切に頭の中に刻んで、ベンチに座る。あと12分、あと10分、あと8分。途中でやってきた別の行き先のバスに戸惑いながら、あぁわたしは乗らないのねと納得しながら、あと5分、あと1分。

道路の先からやってくるそれを見つけて、いつか猫バスに会える日も来るかしらとひとりで少しだけ楽しい気持ちになる。いつかを夢見て、今は鉄のかたまりに乗り込む。まぁこれもこれで悪くないと思い直す。

電車の揺れとは違う、バス特有の揺れ。ブロロロロ、と小さな振動。たまにガガ、ガゴン、と大きな揺れ。発車と停車のたびに、グンと後ろに引かれる感覚。

顔の横にある窓の向こうには夜をカケラも寄せ付けない真昼のような明るさがあって、あぁ、もうすぐ夏本番だ、とバスに揺られながら思った。

5月17日:わたしたちと部屋の話

来月、引っ越しが決まった。3年半暮らした2DKのマンションとも、あと少しでお別れだ。3年半。長かったような、短かったような。

わかっているのは、引っ越しはわたしの中でとても楽しみな予定だということ。そして、その楽しみな気持ちと同じくらいの分量で、この部屋から離れるのがとても寂しいということ。

いま夫である人が、まだ恋人だったときに、わたしたちはこの部屋で同棲を始めた。食べる部屋と眠る部屋。それぞれわけられる間取り。ひとりが眠っていても、もうひとりは気にせずテレビを見られる間取り。

暮らしやすい2DKは、空間を区切る扉を開ければ1LDKにもなった。わたしたちの生活に合わせて部屋は変化して、気持ちよくわたしたちをサポートしてくれた。

あぁ、本当に一度でいいから、部屋と話すことができたなら。わたしたちはどんな住人だったでしょうか。去ることを寂しいと思ってもらえるほど、いい住人だったでしょうか。それとも、はやく出て行ってくれと願うくらいに、いやな住人だったでしょうか。

わたしは料理担当だったから、言われるなら「キッチンをたくさん使ってくれてありがとう」? いいや、「もう少しきれいにキッチンを使ってよ」? わたしの予想は後者です。いつも油まみれにして、たっぷり汚してごめんなさいね。3くちのガスコンロと広い調理スペース。とても使いやすいキッチンだったから、つい気分が高まって、あれこれ作ってはあなたを汚してしまった。

夫は掃除担当だったから、きっといい言葉をもらえるでしょう。「いつもきれいにしてくれてありがとう」。うん、その言葉が似合うくらい、夫はあなたをきれいにしていたと思う。細かなところも見逃さずに、ゴシゴシ、ワシワシ、キュッキュと。ピカピカにしていたでしょう? わたしはたまに手伝うくらいだったけど、きれいなあなたの姿を人一倍喜んではいましたよ。

わたしたちのすべてをあなたは知っている。楽しく笑いあった日も、喧嘩をして別々の空間にツンと引きこもった日も、さめざめ泣いた日も。あなたの中でわたしたちは感情をあらわにして、それはそれはのびのびと暮らしました。

今までありがとうと、その言葉だけを送ってさよならはあまりにも薄情な気がするけれど、部屋とのお別れをそれしか知らないのでどうぞ勘弁してくださいね。せめてここから去る日は、あなたをもっともっとピカピカにしてみせるから。

あぁ、寂しいですね。離れたくないなぁと思います。ここにわたしたちが暮らしていたことは、誰にもわからないようになってしまうから。次の出会いのためにね。

気持ちよく暮らしてくれる方との縁が、あなたにありますように。気持ちよくというのは、あなたにとっても、住人にとっても。空っぽのままはもっと寂しいから、新しい個性があふれる部屋に生まれ変わることを願っています。

とはいえまだ数週間、ここでの暮らしは続きます。どうか最後までよろしくね。残りわずかではありますが、笑ったり泣いたり怒ったり、まだまだすると思いますので。

3月14日:高橋愛ちゃんに助けられた日

今朝はいつも通り布団からなかなか出られない朝で、(今日はなにもしない1日になりそうだ)と1日の始まりにしみじみ思った。案の定そこから2時間はツイッターをぼんやり眺めたり、漫画アプリで1話無料の漫画をひたすら読んだりして過ごした。

だんだんお腹が空いてきたので、ウーバーイーツでバーガーキングのチーズバーガーセットを頼んだ。疲れた。メニューを決めるだけで体力を使う。お届けしましたの通知を受けて玄関にハンバーガーを取りに行った時点で、(もうこれで今日の体力を使い果たしたな)とチーズバーガーとポテトをモグモグ食べながら思った。

思っていたら、そんなことはなかった。

ふと見始めたゴマキYouTubeチャンネルに踊ってみた動画がアップされていて、あら、ゴマキ踊ってくれたのうれし〜いと思いながら気軽に見始めたらキレッキレなダンスに心を打たれて、あれよあれよとモーニング娘。の動画を次々再生し、いつのまにか脳がトロトロになるくらい見入っていた。

かっこよ!!!! かっこよすぎる。憧れの果てに存在する孤高のアイドルたち。揺れる髪まで美しいとはどういうことなの。汗でおでこに張りつく前髪になりたい。

なっちの愛らしさにキュンとして、辻ちゃん加護ちゃんのコンビにニコニコになり、ゴマキのカリスマ性に心臓を掴まれ、よっしーのイケメンっぷりにメロメロになり、中澤さんのこぶしのある歌声にハッとして、やぐっちゃんのパワフルなダンスに元気をもらい、かおりんのしなやかな動きに感動し、けいちゃんの安定感に頷いて、りかちゃんの演技力に引き込まれていた子ども時代。

さらにさゆみんのふわふわピュアな笑顔に癒されて、れいなちゃんの自分を持った強さに励まされ、あぁあぁそうだったこんな気持ちでモーニング娘。を見ていたなぁ......と思っていたら愛ちゃん???!! 高橋愛ちゃん!!!!

ロングヘアのかわいい高橋愛ちゃんのイメージだったのが、ショートカットのキレキレダンスの愛ちゃんに!!! あららららら!!!!

愛ちゃんのかっこよさにスイッチをバチン!!とオンにされ、気づいたら愛ちゃんが歌って踊る映像をテレビで流しながらリビングでわたしも一緒に踊っていた。さっきまで布団の中でウダウダしていた人間とは思えない。体の奥からドルンドルンとエネルギーを入れてもらっているようだった。マグマのような力を体の奥底から感じる。これが愛ちゃんパワー。

パジャマを脱ぎ捨て着圧タイツを履き、コルセットを巻き、日焼け止めを塗ってカーテンを全開にして、(わたしは彼女たちのバックダンサーよ......)と思いながら踊りまくった。最高の有酸素運動

ついでに美意識にも火がつき、ホワイトニングをしようと歯医者でマウスピースと薬剤を買ったはいいものの(歯になんかついてる不快感がムリ)と1ヶ月以上放置していたマウスピースをすちゃりと装着した。すごい。アイドルは人間にマウスピースをはめさせる力を持つ。

きれいになりたいと思った。なぜならわたしは彼女たちのバックダンサーだから(想像上の)。彼女たちの流す汗のひとさじくらいは、無意識に生活をサボっているわたしでも努力できるかもしれない。いや、しなくてはいけない。なぜならわたしは彼女たちのバックダンサーだから(想像上の)。

いまはダンスの休憩中にこれを書いている。体力が回復してきたので、そろそろまた踊ろうと思う。がんばるぞ。彼女たちに恥じないように、わたしも笑顔で踊るのだ。

2月24日:キレイなものたち

今日はお腹がじくじくいたくて、やらなきゃいけないことだけをえいしょとこなして、そのほかはお布団の中で丸まって過ごした。

いたいなぁと思いながら体を抱えていると、なんだか自分が繭の中にいるみたいで、なにかに守られているみたいで、だけど少しだけ寂しかった。それはやっぱりひとりだから。そばにはだれもいなくて、ねぇと話しかけることもできなかったから。さびしいなぁ、と思いながら体をさらにくくくと丸めた。

きっと、寂しいからこそ浮かんでくるキレイなものもあるよなぁ。そんなことを思う。寂しい気持ちにならないと思い出せないものたち。受け止められないものたち。

ひとりでぼんやり見つめるカーテンから漏れ出る光。お腹がすいたなぁと思いながら想像するやさしい味。寂しいからこそ感じた気持ちを布団の中であれこれ思い出す。ひとりだから気づいたどこかツンとした風のにおい、空気の中にあるトゲ、その中で揺れる他人の家の光。歩くたびにやけにうるさい足音、確かにそこにいる自分。

いたいなぁと思いながら、お腹を守るように背中をさらに丸めながら、寂しさの中で見つけたキレイなものたちをちゃんと思い出せたことがうれしかった。たくさん眠ろう。今度はうれしさや楽しさの中にあるキレイなものを見つけられるように。

1月21日:間取り図を見て思うこと

間取り図を見るのがすきだ。ワンルーム、1K、1DK、2DKに2LDK、広々とした3LDKやどーんとリッチな5LDK。たまにSがついたりして、もうなんのこっちゃとなっていく。

自分の生活スタイルとはまったく違う間取りを見て、想像するのもだいすきだ。どんな人が暮らすかな、どんな日々を送るかな。どうかどうか幸せであれ、居心地のいい家であれ。

道を歩いている人たち、それぞれ帰る場所があるといいと願う。きっとすべての人が、安心して帰れる家があるわけでない。帰りたくない家もあるだろう、逃げ出したい家もあるだろう。神経をすり減らして、怖がって、おびえて、どうにか日々を生き抜いている人もいるだろう。

全員が楽しい食事をとり、ぐっすり眠れるわけではない。知っている。だけどそれでも夢見がちに、いつかすべての人たちが、心をほどける家にたどり着いてほしいと思う。家は休息所で、避難所だ。外の世界で傷ついた体や心を、ゆったり休ませる場所だ。そうであってほしい。

一緒に住めない人があぶり出されたとしても、ときには縁を切っても、なによりも自分を守ってくれる居場所をどうにかこうにか見つけ出してほしい。他人事だ、結局は。わたしはいま安心して暮らせる家でこれを書いている。なにかに脅かされる恐怖と戦わずに眠れるし、ビクビクせずに食事ができる。安全圏からの言葉で、うっとうしいなと思う人もいるだろう。

それでも願う。せめて家の中だけは、おびえずに過ごせますように。いま自分を傷つけるだけの家に囚われている人も、どうかこの先で、自分を守ってくれる家との出会いがありますように。怖がらずに眠れる夜がありますように。家だけは、家の中だけは。自分の味方でありますように。