5月27日:夫とふたりで過ごす生活の終わり

妊娠10か月。早いものでとうとう臨月に入り、出産まで残りわずかとなりました。わたしは計画無痛分娩の予定なので、いまはこまめに健診に行き、体の状態を見ながら出産日を決める段階。まだかな、そろそろかなと、常にソワソワしています。

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臨月に入ってからの、ある夜。(臨月に入ったなぁ、本当にあと少しで出産なんだなぁ)と布団の中で思った瞬間に、さまざまなことが頭の中に浮かんできました。

出産や子育ての不安はもちろん、しっかりお金を稼いでいけるかなとか、家の修繕費も貯めておかなきゃとか、反抗期がきたらどう対応すればいいかなとか、そういえば老後の貯蓄も必要だとか。

そしてふと、自覚しました。あぁ、夫とふたりだけで過ごす生活は、ここでひとまず終わりなんだなぁと。

そう思ったらなんだかとても寂しくて、悲しくて、横ですやすやと眠る夫の顔をまじまじ見ながら、あぁ好きだなぁ、寂しいなぁと何度も思いました。

もう少しふたりの生活でもよかった? と聞かれると、それは、いいえそんなことはないよの答えになります。「この人との子どもがほしい」と思ったタイミングで、奇跡的に授かれたお腹の中の命に対しては、どうかどうか無事に産まれてきますようにの強い願いがある。

ただ、夫との生活が本当に楽しくて、しあわせで、それがあと少しでなくなるのだと思うと、いままでの夫とのありとあらゆる思い出がぶわりと大量に浮かんできて、とてもとても懐かしく、心が少し切なくなるのです。

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まだわたしが一人暮らしをしていたころ。

交際がスタートしたばかりの時期は、実はあなたに対して「好き好き!」というわけではなく、ただ一緒にいて居心地がいい相手という感じでした。

あなたは毎週土曜日に、電車で1時間ほどかけて、わたしの家に来てくれました。そのままわたしの家に泊まり、次の日に解散するのがいつも通りの過ごし方になりましたね。

わたしたちは小学校の同級生。小学生のときからやさしいあなたでしたが、再会後も変わらずやさしく、この人はどうしたら怒るんだろう? と不思議に思ったこともありました(いまでもたまに思います)。

夏は冷しゃぶ、冬はお鍋をふたりで一緒に作って食べたこと。わたしの母の病気が悪化したとき、まだ交際して日が浅いのに話を親身に聞いてくれたこと。約束の時間よりずいぶん遅れてわたしの家にやってきて、わたしが「親しき仲にも礼儀ありでしょう」と怒ったとき、本当に焦りながら何度も謝ってくれたこと。道を歩いているときに、寝違えた首の痛みに耐えられずにわたしが「痛いよう」と泣いたときに、道の端っこにわたしを誘導しながら「痛いねぇ、いやだねぇ」と慰めてくれたこと。

一緒に過ごす時間が長くなるほどに、あなたのことがどんどん好きになっていきました。

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結婚を前提とした同棲のスタート。わたしはそれぞれの親に挨拶をしてからの同棲がよかったので、それに同意してくれてよかった。「同棲してみて、1年後に『この人と結婚したい』と思えなければスッパリ別れよう」とストレートにわたしが伝えたときも、怒らず茶化さず誤魔化さず、しっかり対応してくれてありがとう。

内装のかわいらしさに心を掴まれて、「ここがいいなぁ!」と予算より高めの1LDKにわたしが決めてしまいそうだったとき。「おしゃれだね、でももう少し探してみるよ」とわたしの気持ちを受け止めたうえで、キッチンがとてもキュートな予算内のマンションを見つけてきてくれたこと。とてもとても感謝しています。間仕切りを使えば1LDKにも2DKにもなるその部屋は、わたしたちの生活にとてもよく馴染みました。

家具をふたりで選んでいると思いきや、実はわたしの「これがかわいい」をいつも優先してくれたこと。家事をしっかり分担して、共同生活をサポートしてくれたこと。ふたりで入るには少し窮屈なバスタブに、足を曲げてぎゅうぎゅうになりながら一緒に入ったこと。

コロナ禍でリモートワークになったとき、ふたりで起きて、ふたりで朝食をとり、一緒に仕事をスタートして。夕方ごろに自動販売機に飲み物を買いに行き、近くの公園で飲んだこと。あの生活は、いまでも(もう一度したいなぁ)と思うほどに楽しい時間でした。

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その後、わたしたちは1年後に結婚しました。子どもについての会話も増えましたね。「いまのマンションだと狭いねぇ」「お互いの仕事はどうする?」「保育園は?」「育休は?」。わたしの疑問をすべて聞いてくれたこと、あなたの意見を聞けたこと。話し合いができるあなたで本当によかったと、なにかの壁やトラブルに直面するたびに思います。

家を探して、引っ越して。相変わらず「これがかわいいと思うの」と自分好みの家具やインテリアを提案するわたしに、「かわいいね」「おしゃれだね」とほとんどOKしてくれてありがとう。あまりにも値段が高いものは、「ちょっと考えよう」とわたしをクールダウンさせつつ、似たテイストのものをしっかり探してくれました。

子どものことで、喧嘩もしました。泣いたこともあったし、あなたを責めたこともありました。けれどあなたに責められた記憶は、わたしの中にないのです。それこそ小学生のころから、あなたに一方的に責められたことはただの一度もない。

いつもわたしの意見を聞いてから、ゆっくりと考えて、言葉を選んで、自分の意見を伝えてくれてありがとう。ときにはメモを使って、お互いの感情を整理したりもしましたね。言葉のぶつけ合いではなく、声を荒げない話し合いができるあなたが、やっぱりとてもとても好きだなぁと思います。

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もう少しで子どもが産まれます。つわりで吐いているわたしの背中を、夜中でも起きてやさしくさすってくれてありがとう。掃除も洗濯も料理もすべてひとりで担当して、つわりで苦しむわたしを休ませてくれてありがとう。

「サイダーしか飲めない」と言うわたしのために、たくさんサイダーを買ってきてくれたのに、「もうサイダーの口じゃなくなった。次の口は……ポカリ!」と伝えたとき。怒らず、呆れず、冷蔵庫にたっぷり残ったサイダーを「甘いなぁ〜」と言いながらも自ら飲んでくれてうれしかった。

お腹が大きくなってきたとき、わたしが「エスカレーターで転がり落ちるといやだから、わたしを先にのせて、あなたは下でわたしを守って」と伝えてから、その言葉をしっかり守っていることも知っています。「道を歩いているときは手をつないで、わたしが転んだときに助けてね」と伝えたときの、「ハイ!」の真剣な表情は少しおもしろかった。

その後、うっかりわたしより少し先を歩いてしまったとき。「真横にいないで、いざというときにわたしを守れるの?」と、わたしからバトル漫画に出てくるみたいなセリフをぶつけられましたね。そのときの少々落ち込んだ「ハイ」も、いまでも覚えています。

出産が怖くて夜中に泣いたとき、「どうしたどうした」とすぐに起きて話を聞いてくれてありがとう。臨月が近くなり腰がとうとう悲鳴をあげてからは、ほぼ毎日マッサージをしてくれていますね。自分も仕事で疲れているのに、わたしを気遣ってくれて本当にありがとう。わたしの料理を「おいしい」と言いながら食べてくれて、いつもとてもうれしいです。何度も繰り返したふたりだけの食卓を、これからも忘れたくないなぁ。

出産後も、どうかどうか、ふたりで協力しながら生活を続けていけたらいいなと願っています。

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出産後、「夫に対して怒りしか感じなくなった」という意見をSNSで見ました。「どれだけ夫が育児に参加していても、それまで夫にどれだけの愛情を感じていようと、パッタリと夫への気持ちが消えてしまう人もいる」という意見も見ました。夫含めて、自分以外の人間に不満を持ちやすくなる時期を、どうやらSNS界隈ではガルガル期と呼んでいるようです。

ガルガル期、わたしもくるでしょうか。くるかもしれません。「やさしい」と感じていた夫の長所を、「頼りない」と短所に感じてしまうかも。「おだやか」が「情けない」に、「慎重」が「行動が遅い」に、「こちらの意見を聞いてくれる」が「自分の意見がない」に変換されてしまうかも。

それはとても悲しいなぁと、時間や気持ちにまだ余裕があるいまのわたしは思えるけれど。産後のボロボロの体や、慢性的な睡眠不足、変えたくなくても変わっていく生活のストレスにより、夫を敵認定する可能性もゼロではないでしょう。もしかしたら本当に、夫が育児にまったく参加してくれず、正当な怒りをパワーにガルガルと夫に噛みつくかもしれません(比喩ではなく本当に歯でガブリと)。

これからの生活がどうなるかは、まだ誰にもわからない。けれど、いまのわたしが、いまの夫に対して愛情を感じていることは、どこかに残しておきたいと思いました。夫のことが本当に好きで、付き合い始めたときよりも、いまのほうがずっとずっと夫を大切に思っていること。仕事から帰ってくるたびうれしくて、仕事に行くときはいつも少しだけ寂しくなること。ここに残しておきます。

出産後しばらくして、夫への愚痴をここにつらつらと書き殴るかもしれません。夫への好きも嫌いもなくなって、ただただ子どもの成長日記になるかもしれません。そもそも文章を書く余裕などなく、Twitterに「夫ムリ」「子育てしんどい」と吐き出し続けるかもしれません。

未来は誰にもわからないので、まずは、母子ともに無事に出産を終えられることを願いつつ。産後の自分の心の変化を楽しみに、ソワソワしながら、出産日を待つとします。

4月20日:妊娠中の「死にたい」について

妊娠9か月に入る直前に、ふと「死にたいなぁ」の気持ちが心にポツンと浮かんできた。あら? わたし、いま "死にたい" と思ったの? ふうん……と、宙に浮かんだままの感情をぼんやり見つめて、どうしたものかと考える。

最初は、なにか理由があるのだろうと考えた。

初めての妊娠・出産でなにもかもわからないこと、コロナ禍で両親学級などがすべて消えて知識不足が否めないこと、体の変化への戸惑い、単純な体調不良、お腹の重さや腰の痛み、無事に産めるかわからない怖さ、出産の痛みへの恐れ。あれこれあげても「まだあるでしょ、これもでしょ」とポンポンと出てくる不安の種。

夫が転職直後で育休の取得が難しいため、日中は赤ちゃんとふたりだけで過ごすことになる。わたしや夫の両親に頼ることもできない。実の姉がサポートしてくれると言ってくれているけれど、姉も2人の子どもの母。おんぶに抱っこというわけにはいかないよなぁ、と思うと出産後の生活がスタートするのがすこぶる怖い。

けれど、どれもこれも「だから死にたい」にはつながらない気がする。すべての不安をぎゅっとひとまとめにしたら意外と大きくて、わぁ! 耐えられないよ! だから死にたい…………というわけでもない気がする。

いろいろ調べてみると、妊娠中に「死にたい」「消えたい」と感じる人はわたし以外にもたくさんいて、さらにはその理由としてホルモンバランスの乱れがあげられていた。

出ました! ホルモン! すべての不調をホルモンバランスの乱れで完結しようとするその心意気やよし、ではない!!よしとしない!!!

ホルモンホルモンうるせ〜んだよ至るところで見るぞホルモン。またお前かよ、とうんざりするほどの主張の強さ。ホルモン。カルビやハラミを極め終わった焼肉好きかよ大人しくタン塩を食え……と気持ちが荒ぶり始めたところで、ふと思い直す。ホルモンバランスの乱れ。

いままでのわたしの人生、悲しみや苦しみには理由があって、それらを解決することで気持ちをおだやかに保ってきたように思う。不安の原因から離れることで心を落ち着かせて、自分の人生に集中してきた。だからつい、「死にたい理由はなんだろう?」と考える。これが間違っているのかも。理由なんてないのかも。なにかひとつあげるのなら本当にホルモンバランスの乱れなのかも。それはわたしの体の中で起きていて、逃れる術はなく、ただただ不安とともに時間が過ぎるのを待たなくてはいけない。

それはどうにもつらいし理解に苦しむから、どうにか「なぜ死にたいの?」の答えを求めて周りをキョロキョロしてしまう、のかもしれない。そして答えを探すための思考は一番身近にいる夫に向かうことが多く、冷静に考えたらなにも問題がない夫の行動に「その行動のせいじゃない!? キーーーー!!!!!」となるのだ。落ち着いてパフェでも食べたら「パフェおいしい、あまい、そしてやっぱり夫がだいすき」となるのに。(ココスのチョコミントパフェとデニーズのメロンパフェとてもおいしかった)

乱れるなよホルモン、と思ってもお腹の中でひとつの命を育てているのだから無理もないのか。乱れまくりのホルモンと一緒に出産まで残り約60日、なんとか乗り越えなければいけない。

あ〜〜〜〜〜〜とりあえず、この「もう消えちゃいたいぜこの世からよ」の気持ちが強まって、それが「パフェ?? いらんですわそんな甘ったるいもの、消え失せよパフェ」となったらいよいよやばい。「パフェ? なんですかそれは……」となったらとうとうやばい。「パ…………」となったら終わりだ。

パフェを気持ちのバロメーターにしつつ、やばいぞゾーンにきたときにすぐに相談できるよう、窓口やサポートを夫に探してもらうことにしよう。そうしよう。ありがたいことに今週は助産師さんとの面談がある。そのときに気持ちをバーッと吐き出しつつ、産後のケアやサポートをあれこれ聞き出して、帰りに喫茶店でおいしいものでも食べるとしよう。そうしよう。

世の中の妊婦さん、わたしがお金持ちになったらひとり500000億円あげたいよ。たいへんだよね、日中眠いのに夜は全然眠れなくない?? 睡眠仕事しろって思うよね。もう眠れないなら知らんわ!!! と最近はYouTubeメイク動画を見ておりますわ。一緒に「骨盤ベルトってどこにつけるん? えっ、意外と下の位置じゃーん!!」って笑いながら話せる妊婦さん友達ほしいな。あれって意外と下につけるよね。

1月24日:久しぶりの夜の道

今日は久しぶりに美容院に行った。まだ外が明るいうちにスタートしたけれど、カット・カラー・パーマ・トリートメントのフルセットをお願いしたので、すべてが終わってお店を出るころにはとっぷりと日が暮れていた。

夜の中に沈んだ街を見て気づく。暗い道をひとりで歩くのはずいぶん久しぶりだなぁ、と。いまの生活は「暗くなる前にお家に帰りましょう」が自然と組み込まれているので、闇に飲まれた建物や道が驚くほど真っ黒に見えた。

とたんに怖くなる。そうか、夜はこんなに暗かったのか。よく歩いている道なのに、心が臆病になったせいかどう進んでいいのかわからなくなる。何度も振り返り、何度も道を確認して、間違えて曲がったり戻ったりしながら、いつもとは違うルートをおそるおそる進んだ。

わたしは道を覚えるのが下手だ。だいたいの方向すらパッとはわからない。ぼんやりとした頼りない街灯に(もう少しがんばってよ)と理不尽に腹を立てながら、怖さを振り払うようにあえてずんずんと足速に歩く。

夜の中を久しぶりに歩いているうちに、道がわからない理由に気づく。そうか、わたしはいつも色で道を判断していたのだ。「緑の柵がおしゃれなおうち」「青い壁がきれいなおうち」「ブラウンのレンガがかわいいおうち」「色とりどりの花がすてきに咲くおうち」。街にあふれるカラフルな色がわたしの道しるべ。

それなのに、夜は色を奪ってしまう。あれだけ色鮮やかだったはずの街はどこかに消えて、味方だったはずの建物たちはツンとした表情でわたしを拒んでいた。なによ、なによ、いつもと全然違う顔をして。街灯への怒りを罪のない建物にまで飛び火させながら、わたしは進む。ずんずん、ずんずん。怖さや不安に追いつかれないようにひたすら進む。ずんずん、ずんずん、ずんずん。

そうしているうちに、ふと変化に気づく。あれだけ溢れそうになっていた恐怖は少しずつ和らぎ、過去の自分を思い出す。夜の闇なんてまったく怖がらず、音楽を聴きながらふんふんと気分よく歩いていた昔のわたし。あら、そういえばそんなときもあった。そうそう、そんなわたしも確かにいた。

街灯をちらりと見れば、あれだけ頼りなく感じていた光はしっかりと地面を照らしている。白黒になってしまったと感じていた建物たちも、よく見ればなんとなくホワイト、なんとなくブラウン、なんとなくグレー。明るいところで見たら「いやいや、この壁はホワイトではなくベージュです」なんて壁に怒られるかもしれないけれど、そんなことは些細な色の違いだと、夜の闇に包まれながら思えるようになっていた。

ずんずん、と歩いていた意識は、いつのまにかいつもの調子に戻っていた。すたすた、とことこ、とてとて。怖さや不安や怒りが内包されていないただの足音。ただ歩く。そうか、これが慣れか。歩きながら納得する。それと同時に、「怖い」は「緊張している」とも言い換えられるなぁ、としみじみ実感した。

あれだけのっぺりと見えた道は、気づけばただのいつもの道。そりゃあそうだ。明るいうちは真っ直ぐだった道が、夜になったとたんにグニャグニャと折れ曲がるはずはない。いつもの道だ、お昼と同じ。ふと前を見れば、よく通る大通りが見えた。家はもうすぐそこだ。大通りを抜けるとまた薄ぼんやりした住宅街に入るけれど、もうきっと怖くないだろうなと、チカチカとまぶしい大通りの灯りを見ながら思った。

1月21日:アフタヌーンティーと、戌の日の安産祈願

今日は姉とふたりで、安産祈願で有名な神社に行った。妊娠しているのはわたし、出産月は今年の6月。少しずつ膨らんできたお腹に思うのは(パーンとハリがあってビール腹みたい!)くらいのもので、妊娠した瞬間に母性が芽生える論はやはり迷信なのだなぁと確信している。

安産祈願は妊娠5か月ごろの戌の日に行くのがいいそうで、今日がまさしくその日だった。戌の日は今月2回あり、ひとつは日曜なので平日は仕事の夫と行くこともできたが、姉の「もし旦那さんが忙しかったら一緒に行こうね。近くのホテルでアフタヌーンティーやってるみたいだし!」の一言で姉と行くことを決めた。

夫のことは大好きだ。けれどアフタヌーンティーをする相手としては姉でしょう。「一緒に行こう!」と姉に伝えた時点で、わたしの優先順位は安産祈願よりアフタヌーンティーになっていた。

アフタヌーンティーは素晴らしかった。運ばれてきたものはどれもおいしく、執事のようなスタッフさんはスマートで無駄がない。至れり尽くせりの対応に「貴族の生活だ......」と感動して、何味かわからない複雑でおいしい味に「セレブの味だ......」とアホみたいな感想を述べて姉とふたりで笑った。

姉との会話は楽しい。おいしい、たのしい、おもしろいと、明るい気持ちで会話は進む。

姉は終わりのない悪口を言わない。そこも好きだ。嫌なことや困ったことがあったときは、それをしっかりひとつの話題として扱い、ひとしきり話すとスッキリした表情で別の話題に切り替える。いい話し方をするなと思う。

あっさり味の悪口はいい。話のどこかにカラリとした軽さがあり、こちらの息が詰まることがない。現実に起きた出来事の話ではなく、相手をひたすら悪く言いたいだけのこってり味の悪口は疲れる。抜け道も終着点もないドロリとした内容を飲み干すのはいやだ。

アフタヌーンティーのあとで、神社に安産祈願に行った。ご祈祷をする予定で来たが、想定外の値段に一瞬で心変わりしてお守りだけ買うことにしたわたしに、姉は「わたしも妊娠中、そういえばご祈祷しなかった」と言った。そういうところも好きだなと思った。

12月6日:からあげうまい

今日のお昼に、約2か月ぶりにからあげを食べた。現在妊娠4か月。つわりのせいで常に吐き気とともに暮らしていて、食事の楽しみは激減しつつあった。なにを食べられるかわからない。少し食べられても途中で気持ち悪くなって横になる生活。悔しい。体重はするすると落ちていく。せっかく毎日の筋トレで培った筋肉もするするとわたしから離れていく。悔しい。

そんな日々だったが、今日、約2か月ぶりに、からあげを、食べた!!!!!!

今週あたりからなんとなく調子がいい日が増えてきて、今日も朝起きたときに(今日はいけるな??)とピンときた。吐き気なし。頭痛もなし。だるさもなし。妊婦健診の日だったのでササッと支度をして病院に向かい、無事に終了。お昼になっても気持ち悪くない。

いけるなこれは。これはいけるな。いけるわいけるわ今日はいけるわ! とはやる気持ちを抑えながらお昼ごはんになにを食べようかと街中を物色する。いけるよこれは、なんでも食べられちゃうんじゃない? 最強フィーバータイムなんじゃない? と思っているわたしの目に飛び込んできた蒸し牡蠣&からあげ弁当。これっきゃないだろ。

からあげ。肉を衣で包んでカラリと油で揚げるからあげ。いまだかつてまずいからあげを食べたことがない。サクサクからあげもしんなりからあげも等しくおいしい。さっぱり味付けもこってり味付けも変わり種味付けもだいたいおいしい。肉を揚げたらそりゃおいしい。今回わたしが買ったからあげだって、そりゃおいしい!!

からあげうまい。レンジで温めたので今回はしっとりからあげ。じゃく、と噛むと中からぷりぷりの鶏肉が出てきてそれが衣と混ざり合ってもう口の中が天国でこれは......なに......? と一瞬からあげのことを忘れてしまいそうだったけれど口の中にあるのはからあげ。間違いない。あまりのおいしさに夢かな? と思ったけど現実。からあげうまい。えっ、からあげうまい。これ「からあげ」っていうの? あっそう、ふうん、すごいね、えーそうなんだ......えっおいしいね? からあげ......からあげおいしいね......夢かな? あぁ現実か、のエンドレスで頭の中がパーティーだった。

ちなみに蒸し牡蠣もそれはそれはおいしかったけど理性は保ちつつ(蒸し牡蠣おいしいな)の気持ちで完結した。からあげは比じゃない。なんだ、なんなんだ? からあげってなんだ? 最初に作った人は誰なんだ。ノーベル賞とか国民栄誉賞とかそういうものはもらったのか。誰が鶏を油で揚げようと思ったんだ? もしかして熱した油にニワトリが間違ってすってんころりんジュワ〜〜〜!! と揚げられあまりにいい香りで食べてみたら「これは革命だ〜〜〜!!!」となったのか。そうかもしれない。そうじゃなかったら今ごろナポレオンとかガンジーとかエジソンと同じくらいからあげを最初に作った人の名前が世界中に広まっているはずだよ。すごいことだよ。誰なんだよ。感謝を伝えたいよ。本当にありがとうだよ。

とっくに食べ終わっているけどいまだに余韻がすごい。からあげの余韻。おい......しい......と目を見開いた瞬間の感動をまだ覚えている。ありがとうからあげ。ありがとうお弁当を作ってくれた人。ちなみに購入したお店は「からあげ割烹 福のから」でお弁当の名前は「広島産土手鍋風牡蠣めし」です。牡蠣がメインのようですがサイドにそっと添えられたからあげがおいしくておいしくてすばらしかったです。2か月ほどからあげ断ちをしてから食べるとよりいっそうおいしくいただけると思います。からあげ感想文おわり。

11月24日:10週目の気持ち

つわりがつらいので1か月くらい「人と会わない・外に出ない・動かない」生活をしていたら気持ちがどんどん落ち込んできて、あぁわたしにいま足りていないのは適度な刺激なんだなぁと思った。体が動くときは外に遊びに行ったり、お散歩したり、筋トレしたりして気持ちを保っていたのだ。

夫が仕事から帰宅する夜は楽しい。ひとりの日中はとてもさびしい。頭がぼんやりするからあれだけすきだったアニメもスーッと右から左へ流れてしまいストーリーについていけない。漫画は自分のペースで読み進められるからありがたいけど、漫画喫茶が我が家にあるわけではないので読むものがなくなったときの喪失感が半端ない。さびしい。

わたしは家で仕事をしているのでなにかしら作業をしているときは気が紛れるけど、体を縦にできない日は仕事がまったく進まないのでくそーと思いながら布団に逆戻りしてツイッターを見る。おもしろいな〜と思ったアカウントの「おすすめユーザー」に出てくるアカウントもやっぱりおもしろくて、ツイッターっておもしろい人が山ほどいてすごい、どうして有名にならないんだ? と不思議な気持ちになる。テレビやラジオで活躍できそうだけど......と思うけど、ツイッターの中だけで輝く貴重な存在で外に出るとその輝きを失ってしまうのかもしれない、人に見つかったらいけない妖精みたいに! の結論がとりあえず出た。

わたしのお腹の中には10週の命があるけれど、まだ実感はなく、ただただつわりの気持ち悪さだけがある。実感がないのだからまだ命に対しての愛情もそれほどなく、命が宿ると母親には母性が生まれる、なんてものはそう信じたい第三者の言葉なんだろうと思った。いま「お母さんになったんだからがんばって! つわりは赤ちゃんが育っている証拠だよ!」と言われたらただ一言「うるせ〜」と口からこぼれてしまうでしょう。そんな励ましはいらないのでトマトとりんごを買ってきてください。今日は冷麺の気分なのでそれも作ってね、我が家のキッチン使ってどうぞ。

11月15日:マンモスの時代のつわり

妊娠9週に入った。つわりのせいで毎朝「気持ち悪いな〜」から1日が始まるのがとてもいやだ。つわりが始まった当初は「妊娠してるって感じ!」とちょっとテンションが上がったけど、1ヶ月以上も続くとそろそろ飽きてきた。まだつわり? しつこくない? あなた自分がわたしに求められてるって思ってる? とイライラしてくる。つわりがあるうちは絶対に子どもが元気に育ってる! という保証があればまだいいけど、つわりの症状があってもお腹の中でかなしい結果になることはあるようで、もう本当になんのためにつわりがあるのかわからんな、の気持ちになる。

マンモスを追いかけていた時代からつわりはあったのかな。もしそうなら神さまのミスじゃん。比喩ではなく生きるか死ぬかの時代につわりの症状を抱えてどうやって生きていたのか。すごい。気持ち悪さを我慢しながらマンモスの肉を切ったり焼いたり食べたりしていたってこと? すごいじゃん。わたしは胃が空っぽだと気持ち悪さが倍増するので、毎朝ウィダーインゼリーをとりあえず胃に流し込んでいるけど、マンモスの時代はそんなことできないじゃん。朝っぱらからマンモスの肉を口に詰め込まれたら吐きながらキレちゃうよ絶対に。

そう考えるとまだわたしはこの時代に生きていてよかったな。マンモスから逃げなくてもいいし。マンモスマンモス言っているけど実際はマンモスが主食ではなかった、みたいなことも聞いたことがある。わたしのこのマンモスマンモスの記憶はたぶんアニメでやっていたあの......マンモスの肉を食べるあの......名前が思い出せないあのアニメの影響かな。小さいころに見ていたやつ。お父さんとお母さんと子どもの3人家族で、お母さんがマンモスの骨で髪を束ねていた記憶がある。いま考えるとワイルドなヘアスタイルだ。

マンモスの肉っておいしいのかな。なんか臭みがすごそう。あと硬そう。そういえばマンモスもつわりってあったのかな。野生動物にもつわりがあるならそれもやっぱり神さまのミスだね。